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 みんなへ
キャプテン3年C組 佐々木 健祐

私がこの「河原グランド」を書くにあたり、正直とても迷いました。
迷いに迷い過ぎたので、ペンを取り出したのが実は締切日当日であるという結果は決して決して忘れていたわけではない。ということでお願いします。遅くなってすみませんマネージャー。

遅いと言えば、私は練習に来る時間が比較的遅かったのは、みんな知っているかもしれません。真似するなよ、キャプテンとY田。
何を話そうか迷い、前置きが長くなってしまいましたが、やはり、ラグビーについて話したいと思います。

私がラグビーを始めるきっかけは, 本当に申し訳ないのですが、野球部がちょっと弱かったからです。野球部の人に読まれたら、ひどい目にあいそうだけど、もう卒業なので好きな事を書きたいと思います。このままでは、ただ丸く丸くいなければいけないと危機感を感じていたので、何か他の部に入ろうと思い立ちました。そんな時、私の目に飛び込んできたのが、他でもないラグビー部でした。日夜練習に励み、「花園」という目標に、部員全員で一丸となって向かっている。私は感動しました。・・・してしまった・・・まぁ、そんな単純な理由で入部を決意してしまい、私も花園を目指すフィフティーンになろうと、意気揚々とラグビー部に乗り込みました。カルチャーショックとはまさにこのことです。みんな体がでかくて、足も速い。特に当時3年生だったある先輩は体重が100`近いのに、足が速くて力も強くて声もデカくて、あんなに大きいのに、あんなに動けるものを、私は今まで車以外に見たことがありませんでした。身を守る為にウェイトを必死でやり出したのは言うまでもありません。

また1年生の試練とも言うべき「余興」は1年生を心の底まで憂鬱にさせてしまう恐ろしいものです。新入生がこれを見ていることを予想し、あえて詳しくは書きませんが「アゲイン」という言葉が嫌いになるのは間違いありません。

そんなこんなで、1年が過ぎていき、2年生になりました。私は、2年生の県民体は一生忘れられないと思います。2年生だけの力で勝ち取った優勝はラグビーをやっていて本当によかったと、心から思いました。なぜここまで心に残っているかというと、大会の前にあることがあったからです。当事者は私だったりするわけでありまして、大会前にテストで赤いペンで書かれる点数をとってしまい、大会に連れて行かないと言われました。私はその大会にとても気持ちを入れていました。なぜならセブンスの2年生チームのキャプテンに選ばれていたからです。あの時ほどラグビーをやめようと思った時はありません。本当にもう続けられないと思いました。悪いのはテストの点数が悪かった自分なのですが、そんなもので自分のラグビーを妨げられるのには、納得がいきませんでした。一人で落ち込み、一人で暴れる。そんな日が続きました。でも私は、大事なものが見えていませんでした。それは、周りにいる仲間です。共に練習に明け暮れているチームメイトです。私が大会に行けないことを悲しんでいたのは、私だけじゃありませんでした。みんなも悔しがっていてくれることに気付き本当に嬉しかった事を今でもはっきりと覚えています。そして、大会に連れて行ってもらえるように濱崎先生のもとへ直訴しに行き、みんなで流した涙を今でもはっきりと覚えています。私は大会中、仲間に本当に感謝しながら、みんなの為にプレイしました。これがラグビーなんだなと、恥ずかしながらも思いました。決勝で盛工に勝ったことは、仲間に、そして両親に感謝の気持ちを示せたと思いますし、本当に嬉しいものでした。

新チームとなり、私はキャプテンとなりました。3年生の時の1年間というものは本当に早いものであっという間にすぎていった気がします。でも、私は自分の代のチームが大好きでした。学年関係なく意見を言い合う事ができて、誰かがケガをすればみんなで心配し、試合にのぞむたびに全員で気合いを入れ、トライ1つとるたびに全員で怒られるくらい喜び、試合に勝っても負けても全員で泣いた。大人っぽいチームではなく、スマートなチームでもなかったけど、そんなチームが私にとって最高のものでした。

この場を借りて、特にも2年生に感謝したい。人数は少ないし、全然先輩っぽくないしケガ人も多かった3年の俺らに付いてくるというよりも、共に歩き、練習でも毎日必死にぶつかり合う、そんな熱い2年がいたから、チームは成長できたと思う。ウェイトも毎日頑張ってるのを知っているし、アフターもしっかりやっているのも知っている。そんな地道なことをしっかりできる2年生だからこそ、とても信頼してたし、誇らしかった。感謝してます。本当にありがとう。今年こそ「花園」にいけるように心から応援しています。

花園予選は、後悔していません。自分の仲間と、自分たちのラグビーをして精一杯戦った。何も恥じる部分はありませんし、むしろ自分たちのラグビーを誇りに思っています。ただ1つ残念なのは、決勝戦の試合で、最初から出してやりたかったヤツと、最後まで出してやりたかったヤツがいたことです。私が試合の後泣いたのは、応援団や家族の気持ちに対してと、そいつらの気持ちが痛いほど伝わったからです。名前は出しませんが、一緒にプレイしてきたからこそ最後まで一緒に試合したかった。でも気持ちは最高だった。次につなげてください。ありがとう。

最後となりましたが、3年間、心身共に鍛えて下さった濱崎先生、本当に色々迷惑かけたけどいつも近い距離にいてくださった去石先生、明るく朗らかで、ふくよかな鈴木先生、心より感謝しています。そして、一番迷惑をかけ、いろんな面でサポートしてくれた両親。本当にありがとう。

これからの宮高ラグビー部の栄光を、全国に魅せつけて下さい。応援してます。

Go Forward MIYAKO Rugby


 夢みたいな時間
3年G組 大下 祐輔

何を書いたらいいのか分からないけど、適当に書いてみたいと思う。自分が今までラグビー部でやってきて、まず、よくあんな競技を最後までやってこれたなぁ・・・と思う。最初はラグビー部に入部する気もなかったのに、どういう訳か最後までやっていた。しかも、当初66キロだった体重は8?キロまでになり、今ではなんであんなに食ってしまったんだろうと本当に後悔している。でも、それなりに強くはなったからいいと思う。

自分が現役の時、気になっていたことがある。パラの人数がとても多かった事だ。大事な時期に人数がそろわなっかたりして、モチベーションが下がる事もあった。だから、なるべくケガをしない体作りとか体のケアを今の1・2年生はしっかりしてほしい。もし大きいケガをしたときは焦らないでまずケガを治したほうがいいと思う。自分も肩を亜脱臼してからちゃんと治療していなかったから最後の最後まで右肩でタックルはできなかった。自分は2年までは例え吹っ飛ばされてもタックルはビビらなかったけどその時以来かなり怖くて本当に辛かった。

花園予選の決勝で盛工と戦った時は、もぅとにかく勝ちたかったけど、負けてしまった。試合が終わったあとは、とにかく泣いて、いろんな気持ちがあったけど、なんか泣いていた。もうあの時間はあっという間に過ぎていって夢みたいだった。けど、自分のどこかに達成感もあった。本当にラグビーを楽しめたんだと思う。

最後に1・2年生のみんなは絶対花園行って下さい。最後まで頑張れば絶対行けると思います。また、今までお世話になった濱崎先生、鈴木先生、去石先生、応援してくださった保護者や地域のみなさん、今まで本当にありがとうございました。


 感謝! 感謝!! 感謝!!!
3年E組 佐々木 太治
 

10月19日、俺の高校ラグビーが終了した。相手は盛工で完敗だった・・・。その試合に勝ってみんなで泣きたかった。前日、春の練習試合で盛工とは5点差だったので、もしかしたら・・・と期待してしまっていた。結局、相手のプレッシャーに押され、自分たちのラグビーができなかった。俺自身、今までで最悪のプレーだった。終わった時、悔しくて涙がとまらなかった。僕たちにはもぅどうすることもできないので、この悔しさは後輩たちが「優勝」という形で晴らしてくれることを期待しています。君たちなら出来る!!

この3年間を振り返ってみると、俺はすっげー、仲間に助けられてきた。ムカつくことや、つまらないことがあっても、仲間の顔を見るとどんなことでも忘れることができた。どんなことでも相談できる、こんなラグビー部が好きで好きでたまらなかった。そしていつも誇りに思っていた。本当に今までありがとう。今感謝の気持ちで一杯です。

1年生。1年っていう短い時間だったけど一緒にラグビーしたことは忘れません。今の2年について行けば、きっと結果はついてきます。けど、もっと競争心を持って、2年からレギュラーをとる気持ちがないと絶対のびないよ。攻めの気持ちを忘れずに。

次に2年生。君たちならきっと花園へも行けると思う。強い意志を持っている。下川みたいな、素晴らしい努力家もたくさんいる。試合経験もある。才能にあふれているだけに、もっとチームワークを大切にすれば、きっと盛工にも勝てるはずだ。努力し、仲間を大事にしてください。

そして、ラグビーの楽しさ、厳しさ、素晴らしさを教えてくださった濱崎先生、鈴木先生、去石先生。なにかと支援してくださった父母会の皆様、OBの皆様。大会のたびに運転手をしてくださった前川さん、坂下さん。初めは反対したけど、毎回応援してくれた両親。今までありがとうございました。

最後になっちゃったけど、3年のみんな。チームを最後まで支え、まとめあげた健祐。プレッシャーのある中で、FWをまとめた大下。やるときゃやる、陰のキャプテンだった正佳。本当に頼りになり、心の広かった新川。チームのムードメーカーであり、最後まで盛り上げてくれた柏。チーム1の負けず嫌いで、熱いやつだった直樹。試合に出ると、タックラーだった坂大。パス練頑張って、一番長くグラウンドにいた久保尻。チームの医者的存在だった賢。三年間、俺らの事を気使ってくれ、チームをサポートしてくれた加地。11人という少ない人数の3年だったけど、どこにも負けない固い信頼感があった。みんながいたから今の自分があると思う。なによりも君達が好きでたまらない。みんなと同じ3年生で本当に良かった。一生の友となるであろう君達に逢えて本当によかった。ありがとう。そして、これからもよろしく。

〜宮高ラグビー部は永久に不滅です〜


 楕円球120%
3年C組 新川 文章

中学校まではラグビーに興味がなかった。というよりはむしろ嫌いだった。なぜかというと、父さんがラグビーをしていて試合があるたびにどこかケガをして帰ってきていた。ひどい時には骨折や脱臼、じん帯を切ったりもしていた。

それがなぜ高校に入ってからラグビーをする気になったかというと、最初は格闘技が好きだったから空手部に入ろうと思っていた。それが気が付けばラグビーのグラウンドで練習していた。なぜラグビー部に入ったのかと聞かれると正直、うまく答えられる理由はない。

練習はつらかった。入ったばかりの頃は楽だったけど、しだいに練習量が増えていったけれど、試合をするのは楽しかった。ラグビーの試合は色々な事を相手と勝負できるからでもあった。足の速さで勝負したり、タックルで相手をつぶしたり、それらのことがとにかく面白かった。けれど、時々練習で手を抜いていたのは今でも後悔している。『後悔先に立たず』の言葉通り、最初から苦労して頑張っていれば、花園にも行けただろうなと今はすごい思っている。1年の時は初戦で黒北に負けてしまったけれど、2年3年と連続で決勝にいけた時は全国も夢じゃないと感じていた。でも結果はそぅうまくなってはくれなかった。その瞬間に自分のラグビー生活は終わった。大学でやらないかと誘われもしたけど、部活に入った時から大学ではやらないと決めていたし、何より今はやりたいことがあるから今度はそのことに集中したかった。といっても働いて自分で生活していけるようになったら、どこか地域のチームに入ってやっているかもしれないけど・・・。

最後になったけど、死ぬまでに宮高が花園に出場して応援に行くのを楽しみにしています。

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