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息子・娘たちへ
 ありがとうございました
父母会会長 新川 孝徳

◇ノーサイド
山本前会長から、会長を引き継ぎ5ヶ月が過ぎた10月19日、父母会、OB、校長先生をはじめとする全校による応援の甲斐も虚しく、ノーサイドの笛が鳴った。この日がくるのが怖かった。「これは悪い夢で、もう一度本当の試合があるのではないのか。」そう思わずにはいられなかった。10−47の完敗、夢ではなく、紛れもない現実であった。しかし、「これまでの指導歴の中で1番」と盛岡工業の小笠原監督に言わせたチームに対し、後半は押し気味に試合を進め、残り10分で2トライをあげた。素晴らしいことだ。

試合開始前、前半で3トライ以上差をつけられたら勝つことは難しいと思っていた。現実には、ミスが重なり、前半で5トライ許した。が、宮高にはスピードと展開力があると思い逆転を信じた。
平成14年度県民体育大会七人制ラグビープレートトーナメント決勝で、宮古Bが、盛工B(共に2年生)をスピードで圧倒し、21−0で勝利し、優勝したとき、去石先生の目潤んでいた。(宮古Aもカップトーナメントで盛工Aに40対0で勝った。)私自身、あのときビデオカメラ回しながら目頭が熱くなった。「あのときのスピードで、必ず逆転してくれる。」そう信じた。
花園予選決勝で宮高らしさがでたのは、後半残り15分ぐらいからだった。もっと早くに「宮高らしさを発揮できたら」と思わずにはいられなかった。が、怪我人や故障者があいついだなかで、よく頑張り決勝まで進出した。本当によくやった。

「戦い過ぎし 空を見よ よしや君らが敗れても 母校の名誉伝統は 君らがなせる 麗しき 雄々しき技を 讃えけり」
という激励歌は、息子たちの素晴らしいプレーを讃え、今、心に響いています。

3年生は、宮古高校を卒業し、それぞれの道に進みますが、これからどんな困難に直面しても、共に花園を目差し河原グランドでの厳しい練習で鍛えた臙脂の魂で、最後まであきらめずに挑戦していくことを願っています。

◇強い後輩に感謝
【「よく耐えてくれました」。宮古の浜崎浩秋監督が振り返るとおり、黒沢尻工業に再三、自陣ゴール前に詰め寄られながらも踏みとどまった、FW陣の奮闘で決勝にこまを進めた。
弱点と見られていた宮古FW陣は、1年生などのリザーブ相手に練習を繰り返し力をつけた。60bの独走トライを決めるなど大活躍を見せたNO8新川文章選手は、「今年の1年生は強く、レギュラーとの力の差が少ない。彼らのおかげで実践的なFW練習ができた」と後輩のサポートに感謝していた。】10月13日の毎日新聞に掲載されていた。
これは、その試合を見守った父母会のメンバーも、FW陣の奮闘を認め、河原グランドでの練習をサポートした1年生に本当に感謝しています。

◇「来年こそ…」誓う。
【宮古は後半20分に敵陣ゴール前のモールから小笠原が飛び込んでトライ。同29分にもショートパントから1トライを返したが反撃も遅かった。試合後、浜崎浩秋監督から「よく頑張った」と肩をたたかれた選手たちの目からは、こらえていた涙が一気にあふれ出た。キックオフから仕掛けて先手を取る作戦だったが、序盤のミスで流れをつかめなかった。それでも後半には疲れの見える盛岡工に対し、持ち前の展開ラグビーで攻め込み、南舘清史選手(2年)がトライするなど意地を見せた。涙の止まらない南舘選手は「この悔しさを練習にぶつけ、来年こそは花園に行きます」と、再起を誓った。】決勝翌日の毎日新聞に清史君の決意が掲載されていました。1・2年生の皆さん、大きな壁を打ち破り、必ず花園へ行って下さい。そして、私たちを花園へ連れて行って下さい。

◇親ばか
平成13年4月。「おれ、ラグビーをやることになった。」と文章の口から思いがけない言葉を聴いたとき、内心「やったー。」と思いながらも、「おー、がんばれよ。」と素っ気なく言ってしまった。
3歳ごろから、宮古ロートルズや宮古市役所チームの遠征に何度もつれて行った。その頃「ぼく、小学校に入ったら、ラグビーやる。」と言って、河原グランドで、土を集めて楕円球を立て、プレースキックの真似をしていた文章が、小学校に入ったとたん、「ラグビーはやらない。」と言った。「なぜ。」と聞くと、その答えは「痛いから。」。試合のたび私のチームメイトが巻くテーピングが、包帯に見えたのか、試合後のメンバーの姿が、怪我人に見えたのかもしれない。
実際に、アキレス腱断裂や骨折した人がいた。私自身も、膝靭帯損傷や鎖骨亀裂骨折など経験した。「なんで痛い思いをしてまでやるのだろう。」と幼心に思ったのだろう。文章がラグビーをしないと思っていた私は、ラグビー部に入ってくれたことが、本当に嬉しかった。
2年生の県民体育大会7人制ラグビーで、「胸が苦しいと。」涙を流しながらも、決勝の盛工戦に出場して優勝に貢献した。本当によく頑張った。
昨年6月の高総体準決勝の黒工戦で、負傷し、岩手医大救急センターに連れて行ったとき、「骨に異常はないです。」と言われるのを私は期待した。しかし「やはり折れています。」と言われたとき、「若いからすぐ直る。」と思いながらも、不安は、ぬぐいきれなかった。(全治するまで2ヶ月を要した。)岩手医大で、診察を終わり帰るとき、文章は、痛みで顔をゆがめながらも、医師に「ありがとうございました。」と丁寧に頭を下げ、お礼を言っていた。学校生活とラグビー部の活動で身につけた礼儀であると思う。
文章、ラグビーを選んでくれて本当にありがとう。素晴らしい多くの人たちとの出会いがあり、思い出ができ、君が成長し、私自身も成長した。

◇菅平
私は、この3年間、ほとんどの大会、合宿、遠征を見に行った。ラグビーのメッカ菅平高原にも2回行きました。14年8月に初めて行った時、朝6時に着き、回りを見ると他の高校は、既に早朝トレーニングをしていました。我が宮高も、もう朝練してると思い、ホテルの向かいの丘に登り、捜したが見つからず、やむなく降りてきたら、やっとホテルから出てきたところでした。(それにしても遅い)先頭の3年生に、「おはよう」と声をかけると「なんでここにいるの!」と開いた口がふさがらない様子で驚いていた。
菅平は、ラグビーのグランドが100面以上あり、そのほかの土地は、ほとんどレタス畑です。
14年に私は、親子4人で行き、キャンプ場に一泊しましたが、ある3年生のご両親は、朝着いて夕方帰るという強行スケジュールで行っていました。菅平へは、新潟回りで9時間ほどかかります。
1・2年生の父母の皆さん、菅平は無理としても、出来る限り応援に行ってあげて下さい。色々な思い出ができます。昨年の女川での新人東北大会には、1・2年の父母だけでなく、3年生とその父母も応援にきていただきました。5人で予約していた石巻の旅館に、19人宿泊し、宴会で大いに盛り上がりました。

◇終わりに
子供たち一人一人のタックル練習を自ら受け止めた浜崎先生、子供たちのプレーに涙した去石先生、率先してスクラムを組んでくれました鈴木先生、今は、宮古工業高校で指導しながら釜石シーウェーブスで活躍している金丸先生ありがとうございました。
歴代の父母会役員の皆さん、ラグビー部OBの皆さん、河原の会の方々、忙しい時期に何度も運転手を引き受けてくれました前川さん、坂下さん、佐々木さん、皆さん本当にありがとうございました。
花園予選決勝戦で、全校応援をしてくれました、川口校長先生をはじめ教職員の方々、生徒の皆さん本当にありがとうございました。OBの方からは、「俺たちの時は、こんなこと(全校応援)はなかった。」と羨ましがられました。

今年の干支は「申」。十二支は、本来、草木が育つ様子を表したものです。「申」は、「果実が固まる」という意味です。宮古高校を巣立つ息子たちは、それぞれの学校、職場で、ますます大きく成長し、実を固く結んでいくことと思います。今後とも、ご指導のほどよろしくお願いします。

また、宮古高校ラグビー部も浜崎先生をはじめとする指導陣の下、さらに精進し、今年こそ大きな実を結び、夢を叶えて欲しいと願っています。
「GO FORWARD!!!、花園へ。」


 継続は力なりは本当?
父母会副会長 佐々木 隆雄

3年前宮古高校へ入学したらラグビーをやると息子が言い出した時は少なからず衝撃を覚えました。小学生から野球を始めさせ硬式野球がその集大成と考えていた自分にとってラグビーとは走る格闘技であり、体の大きなものしか大成しないスポーツであるという固定概念がありました。

1年生の4月、本人は希望に胸を膨らませ入部し目を輝かせ毎日が楽しいというので少し安心していました。しかし、初夏のころから様子がおかしい、元気がない、日に日にハードになる練習や、伸び悩み、そして進学校故の学業との両立などさまざまなことがプレッシャーになっていたのでしょう。私もそうでしたが知り合いの父母の方は息子の最初の成績表を見てあまりのショックに息苦しくなり酸素マスクをほしくなったと冗談で話していたそうです。そうこうしているうちに15人いた同期も一人やめ二人やめとうとう秋までには10人になってしまい本人もやめたいと母親にこぼしてしまいました。とうとう来る時が来たかと思い他の父母の方々に相談してみると、実はうちもと、ほとんどがやめたがっているらしいとのこと、我々父母の間ではこれを(やめたい病)と呼びました。

この蔓延したやめたい病の治療には騒いだり、怒鳴ったりは逆効果と考え家に帰ったら極力ラグビーの話はしないで悶々とした日々を過ごしたのが懐かしく思えます。

今思えば今の3年生のターニングポイントは2年生の6月か7月に松尾村で行われた2年生だけで挑んだ県民体だと思います、あの雨の中行われた盛工との決勝戦、泥だらけになり、ずぶ濡れになり見事優勝、雨と涙で顔をくしゃくしゃにしながら抱き合っていた姿が印象的でした。

他の高校から見れば7人制のしかもBプール(2部みたいなもの)の優勝、そんなに価値はなかったでしょう。しかし彼らにとってそれまでの積もり積もった鬱憤ともやもやを吹き飛ばしラグビーを続ける自信と勇気を得た価値ある大会だったと思います、それを境にやめたい病がぴたっと発症しなくなりました。
とうとう盛工の壁は破れないで終わってしまいましたが、3年生になり堂々と試合する彼らを見て良くここまで成長して、宮高ラグビーの伝統を守ってくれたなと感謝しています。まさに継続は力なり・・・・・・・・

昨年のキャプテンの軽井沢君のお父さんが話していましたがラグビーはおもしろい競技で、必ずその選手にあったポジションがあるそうです、体の大きい選手、小さい選手、足の早い選手、素直な選手、ズル賢い選手等々、なるほど今になれば理解出来ます。

3年生の皆さんは河原グランドで流した汗と涙の思い出を大切にこれからもマネージャー含め11人、素晴らしい仲間を忘れずにそれぞれの未来に羽ばたいて下さい。

最後にラグビー経験のない生徒をここまで成長させてくれた先生方、ボランティアでいつも遠征に協力して下さいました前川さん、坂下さん、山内先生、色んな形で援助、ご協力して下さったOB会、河原の会皆様ありがとうございました。

また役不足の副会長の私をサポートして下さいました父母会の会員のみなさま3年間ありがとうございました、この場を借りてお礼を申し上げます。


 大地から学んだ心を手土産に
父母会事務局長 坂本 幸博

平成13年4月、宮古高校に入学が決まり、息子の部活について話し合ったことがあった。中学校時代は、勝敗にこだわらない部だった。

いつも、この子達は勝つ試合をしたらどんなに成長するだろうと思い、試合の度にかすかな望みと期待で観戦をしたものだった。しかし、結果はついてこなかった。
この思いが、宮古高校でのラクビー部入部を決定づけたのだろうか。
そして、家族がラグビーに夢中になっていった。

親の思いは、文武両道がキーワードである学校生活の中で、部員達がその都度目指している勝利へのいざないを。
日々、汗と泥にまみれ、全身をいじめている姿を見て、聴き、そして励ましている。親もまた試合が近づくと心を熱くし、(仕事はそっちのけ)試合前というのに、右脳は自分が選手になったかのような展開をイメージするようになる。

また、恒例となった春秋田遠征、夏の菅平合宿は未知の出会いに、はしゃぐ子たち。
大きく、強くなったわが子に再会できることを信じていても、不安感いっぱいで送り出す親たち。
こんな連続する親の精神葛藤を後目に、子は増え続ける食欲とどこでもできる眠気。

父母会といえば、各大会への支援と現地での声援が、また楽しく思い出される。回りを気にせず、大声で叱咤激励する親から、命令口調になってしまうもの、自分がビデオ撮影をして、つぶやいた声が録音されていることを忘れているなど。どちらかというと、素人集団の父母は2〜3字のことばの声援が多く、「押せ」「倒せ」「走れ」「止めろ」「つぶせ」「いいぞ」などと16人目の選手になっていく、夢中になる所以なのだろう。

花園予選岩手大会決勝戦は、2年間悔しい想いをした。この子ども達は、勝負に負けたものの達成感から学年を問わず、チームメイトとの抱き合う姿に私は胸を熱くし、心身共に震える体を観客席の手摺りで押さえたことを思い出された。

君たちは、ノーサイドの笛と同時に多くがその場に感極まって泣き崩れることを予想していた私と違った。互いに励まし合い、すがすがしく、誇らしささえ感じ取れる行動は、後輩達にも語り継がれると思う。

ラガーマンの諸君、この3年間でいくつもの宝物を探し見つけましたね。その中の一つは、如何なる困難なことがあろうと立ち向かい、これからの道は自分できり開くことができるもののはずである。河原グランドで流した汗と涙は、閉伊川の草木にしっかりとした栄養源となり、いつまでも根付き見守ってくれるに違いない。 

そして、支えてくれた濱崎監督・去石部長・鈴木顧問やOB・関係者など回りの人たちにも「ありがとうございます。」という感謝の気持ちを持ち続けよう。


 「夢に向かって」
父母会 柏崎 秀明

ルールも何も全く知らない私が、ラグビーというスポーツを知ったのは二男が入部してからである。体も小さく、とてもラグビーには向いていないと思っていた。小学生の頃からスポーツが好きで、バスケットに熱中していた。それが中学3年の頃、受験を控えた冬、河原でラグビーの練習に参加した時からすっかり虜になったようだ。身体と身体を激しくぶつけ合い、相手を倒し、いかに巧妙にかつ迅速にトライするかという頭脳的なスポーツは、バスケット以上に彼を魅了したらしい。ボールを持ったものは決して前にパスをしてはならないと言う意味で、ラグビーはチームワークを必要とするスポーツだと実感させられた。サッカーなら相手を交わし、一人でゴールにボールをたたき込むことも可能だ。しかし、ラグビーは一人でトライすることは全く不可能である。選手はチームプレーに徹しなければ勝利につながるプレーをすることはできない。サッカーと比較するわけではないが、一人の優秀な選手がいれば勝てるというものではない。仲間を信頼し、試合の流れを読みながら、ボールをパスする、いわば連係プレーの妙である。

また、バレーボールとも違う。相手に懸命にタックルし、時には大けがを覚悟で相手の攻撃を捨て身で防ぐ。彼らの母親達は、選手達の懸命な姿にハラハラし、涙を流し、無事を祈るような仕草で試合を見つめる。バレーなんて、アタックを決めるたびにあの狂喜乱舞は何だ(私は決してバレーが嫌いなわけではありませんが)。本当にラグビーの試合は最後まで緊張と興奮を強いられる。まるで、戦場で兵士達が陣地を奪い合っているかのような錯覚さえ覚える。一進一退の攻防はもどかしくも思われる。しかし、勝敗はともかく、試合終了後は一種のカタルシス(心の浄化作用)を覚える。本当にラグビーはすばらしいスポーツである。指導してくださった先生方に心から感謝したいと思います。

入部した当初と違って二男は身体も大きくなり、ラグビーの選手らしくなった。進路はそれぞれ違っても、河原グランドで流した汗と涙は永久に心に残るだろう。そして、人生というゴールに向かって果敢にトライし続けるだろう。決してあきらめずに、勝利を信じ合って、自分の限界に挑戦し続けたあの日のように。
3年間本当にありがとうございました。

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