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 3年間
3年B組 永田 幸大

 平成14年10月20日、自分の高校ラグビーが終わった。試合が終わった時、自分は泣けなかった。負けたという実感が無かったからだ。たぶん試合に出ていなかったからだろう。また宮古に帰ってから次の大会に向けての練習が始まるのが自然に思えた。次の大会なんてもう無いのに。宮古に着いてから実感が湧いてきた。花園に行けなかった悔しさや、高校でラグビーができなくなった寂しさ、いろいろな感情が込み上げてきて涙が止まらなかった。最終的に残ったのは3年間やってきたっていう充実感だった。
 この3年間を振り返ってみると、よく最後までやれたもんだと思う。中学生だった頃、自分は部活をサボっていたし、当然試合は連戦連敗だった。だから高校でも楽な部活に入ろうと考えていたはずだった。それなのに高校に入るとなぜかラグビー部に入っていた(しかも自分の意思で)。当然自分はすぐにやめたくなっていた。毎日が苦痛だった。練習が終わってから「練習はあと800回くらい」とか考えるのが習慣になっていた。しかし、ある日からやめたいと思わなくなった。花園予選決勝の日だ。試合前に涙を流しながら部歌を歌っている3年生を見ていて、この日に懸ける3年生の気持ちが伝わってきた。すごく感動した。初めてこの部に入ってよかったと思った。
 やめたいと思わなくなってからは、あっという間だった。気づいた時には1年の頃にカウントしていた「あと何回」は0回になっていた。3年間ずっとヘタクソだったけれど、この3年間は自分にとってすごく価値のある3年間だった。菅平で全国の強豪と試合できたり、中夜祭で踊ったりといろんな経験ができたし、本物の「仲間」ができた気がする。そして何より自分自身かなり成長できた。一年の頃の自分の選択は間違っていなかった。宮高でラグビーがやれて本当によかったと思う。
 後輩たちにはまず悲願である花園初勝利目指して頑張ってもらいたいです。自分はいつか岩手に宮高の時代が来ることを信じています。
 最後に、今まで指導してくださった濱崎先生、去石先生、鈴木先生、廣瀬先生、ブライアン、OBや父母の方々、本当にありがとうございました。


 あの頃・・・
3年C組 中屋 裕甫

 俺が高校生活を思い返してみた時に、あの頃に戻りたいと強く思うことができる。それは、日々の生活の中にいつもラグビーと仲間がいたからだろう。それらは、汗くさくて、泥で汚れて、痛いことばっかのスポーツだし、オタクのデブや、外人みたいなヤツやサルや一部のやけにでかいヤツとかの一人一人キャラが濃いメンバーだったけど。この二つに出会えた事が、俺が18年生きてきた中で一番の幸運だったと言える。この二つに出会って、でっけー相手にも飛びかかる勇気とか、どんな時でも「前へ」っていう熱い気持ちを手に入れることができたし、勝つ喜びや負けることの悔しさを知り、仲間の大切さ、そしてあたたかみを感じることができた。俺の中にある沢山の後悔をふっきって前へ進むことができるのは、これらのおかげだろう。
思えば入学当時、体重53kg、鈍足、しかも貧血だった俺は、初めの頃は毎日が辛く、自分との戦いだった。初めての菅平ではMモルと二人だけ二本目の補欠を経験し、悔しすぎて「やめてぇ」と言い合ったりした。こんな感じで辛いこともたくさんあったけど、今となってはいい思い出だ。
 後輩達へ、ヒョロいヤツも下手なヤツも、そして上手いヤツも最後まで自分の可能性を信じてがんばれ。応援してます。
 最後に、先生方、廣瀬先生、船越コーチ、山内さん、在原さん、父母会、河原の会の方々、そして先輩、後輩を含め、共に夢を目指したみなさんに心から感謝します。
 あと、嫌がる俺にラグビーを勧め、一番近くで応援してくれた両親と兄、ありがとう。


 ラグビー最高!!!!
3年C組 山本 雄大

 私の高校3年間は、ラグビーでした。宮古高校でラグビーがしたくてしたくて、宮古高に入学し、学校生活や、普段の生活の中でラグビーが一番だったと思います。
一年の頃は、私はスクールを少しやってたので試合とかに出してもらいました。けれども時間がたつにつれて、スクールをやってたり、中学でラグビーをやってた人達とか、高校で始めた人達との差があっという間になくなって、私は正直あせったけれど、それがいい刺激になって、練習を頑張りました。そういう環境を、今の一・二年生の中にも作ってほしいです。そうすればもっともっと伸びると思います。
 二年生の時は、ほとんどパラっていたので最悪でした。二年生の時にもっとちゃんと練習していればよかったと思います。菅平もずっとビデオだったし、新人戦も少ししか出れなかったし、東北新人に間に合いましたが、三農に前半勝ってて、私は三農ってこんなもんなの?おれらが三農に勝っていいの?みたいな気持ちがありました。それは試合前に濱崎先生が言われたことと全く同じ気持ちでした。あの頃は気持ちがかなり弱かったと思います。けれどもその試合の後はそういう気持ちになったことは一度もありません。
 三年生になっても、ケガが多かったです。全試合出れたのは県民だけだったし、高総体は俺の代の初めての盛工で、勝つ気まんまんだった。負けはしたけど、次はいけるって絶対思っていた。この盛工戦は若狭もいなかったし、若狭が辞めるって聞いて、すんげーショックで裕甫と泣いていました。でも若狭が戻ってきて本当によかったです。
 そして、ここからほんとあっという間に花園予選でした。本当に時間がたつのが早かったです。俺は捻挫で一試合目とか出れなかったんだけど、黒北と盛工に間に合ってよかったです。黒北にも盛工にも負ける気なんて全然なかったし、勝てると思った。けど盛工に負けてしまいました。引退してみて、もっとあの時ああしていればよかったなぁと思います。後輩のみんなにはそういう思いをしてほしくありません。そういう思いをしないために是非花園へ行ってください。私は一回花園に宮高の試合を見に行って、とても熱くなりました。すごい所です。私は毎日ボーとしているような気がします。そして私の人生で一番熱くなれたのが宮古高校でラグビーをした三年間だと思います。一・二年のみんな、もっと熱くなってください。
 最後に、私にこんな素晴らしいスポーツをやるきっかけを作ってくれた両親、兄、そして指導してくれた濱崎先生、去石先生、鈴木先生、金丸先生、船越コーチ、廣瀬先生、一緒にプレーしてくれた13人のみんな、マネージャー、土、みんなありがとうございました。宮古高校でラグビーができてよかったです。


 夢、仲間
3年C組 若狭  豊

 なんとなく高校に入って普通に卒業するはずだった。宮古高校に入学したのも特に理由もなかった。けれどもラグビー部に入った事によって、全く違った3年間になった。
ラグビー部に入ったのは、勧誘されたということもあるけど、高校生と言えば、汗や涙を流して部活動に青春をかけるというイメージがあった。そんなイメージに、ラグビー部はぴったりだった。青春をしたかった。そういう理由からラグビー部に入った。
 最初は、ラグビーになかなかなじめなくて大変だった。それまで、ラグビーを見た事も、やったこともなかった。全く知らなかった。知っていたのは、ラグビーボールの形ぐらいだった。練習はつらい時もあった。長い距離を走ったり、何度もタックルをしたり。でも、そんな時に青春を感じた。そして、つらい練習以上に楽しい事がたくさんあった。合宿で、みんなと生活したり中夜祭で踊ったりするのはすごく好きだった。
 そんな楽しいときが過ぎるのは早かった。花園を目指してきた3年間だけど、花園へは行くことが出来なかった。今考えてみると、もっと努力していれば良かったと思う。まだまだこんなものではないと思う。でも、もう花園へ行く事は出来ない。だから、後輩達はこう思わないように頑張ってもらいたい。3年間は早いから、1日1日を大切にしてほしいと思う。
 3年間のラグビー生活でたくさんの事を学んだ。ラグビーの事はもちろんだけど、夢を持ってそれに向かって努力する事の大切さをすごく感じた。つらい事や難しい事もあるけど、夢とか目標とかをしっかり持っている時の自分が一番いいと思うから、これからも夢というものを大切にしたい。そして、この3年間は決して1人ではやってこられなかった。つらい時や苦しい時、周りには仲間がいた。みんなは気づいていないかもしれないけれど、たくさん助けられた。普段はこんな事言わないけれど、みんな、ありがとう。みんなとラグビーが出来て本当に良かった。

 最後に、いろいろと迷惑をかけたけれど、それでも必要としてくれて本当に嬉しかったです。たくさんの人に支えられて、決勝のグランドにも立つ事ができました。支えてくれた人、仲間、そして自分の為にも勝ちたかったです。悔いがないとはいえないけれど、この経験を生かし、夢を持ってこれから進んで行きたいです。たくさんの支えてくれたみなさん、ありがとうございました。


 伝 統
3年D組 佐々木 秀樹

 宮古高校ラグビー部に入部し、仲間たちと共に「花園」という夢をもち、その目標に向かって一生懸命努力することのできた3年間。それは、自分が最高に輝くことのできた3年間であったと思う。
 宮高ラグビー部ゆえの厳しさがあった。それはグランド上だけではなく、学校生活全般にあった。「カラーをつける」「カカトを折らない」「職員室入室、退室時のきちんとしたあいさつ」「全校集会の片付け」「赤点を取らない」など、この他沢山ある・・・自転車の二人乗りなんか、まさしく死刑ものだった。監督は普段から、口をすっぱくこれらのことを言っていた。今になって、なぜこのようなことをしなくてはいけないのか理解することができる・・・グランドだけでいくら一生懸命がんばっても、学校生活や人間性を高めることなしでは、いいプレイは生まれない。そこには宮高ラガーの目指すべきもの、プレースタイル、精神があるのだと思う。長い伝統により築かれてきた、この精神は決して絶やすことなく、受けついていくべきだと強く思う。私達は決勝の日、その伝統を「タックル」として後輩たちに見せることができたのではないかと思っている。
 最後に、三年間ラグビーに熱中できる環境を作ってくれた、監督、コーチ、ヘッドコーチ、OBのみなさん、家族、本当にありがとうございました。心から感謝します。

 
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