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 後輩たちへ
キャプテン3年B組 軽井沢 達矢

 2000年1月、中3の時、俺は花園にいた。中学校の東北選抜としてだ。そこで、花園の準決勝を見た。すごい試合で感動した。大阪からの帰りのバスの中で、もう一度花園へ行く決心をした。
 それから3年後、俺は花園にはいなかった。宮高の教室で、ぼーっとしながら講習を受けていた。俺の目標は達成できなかった。中学生で花園へ行っても価値はあまりない。高校生として、聖地である花園でプレーすることにこそ価値があるものだ。
 花園予選決勝の事は、今でも思い出す。そのたびに後悔で涙が出てきそうになる。キャプテンとして、1人のプレーヤーとして、もっとやるべき事があったのではないか・・・?そんなことを考え出すとキリがない。キャプテンとしての俺は、赤点だ。プレーではみんなの足を引っぱってたし、精神的支えになるどころか、みんなに支えられていた。プレーヤーとしても、とにかく不器用で、なかなかうまくなれなかった。納得のいくプレーができるようになったのは、3年の終わりごろになってからだった。そんな俺を支えてくれた3年のみんなには、とても感謝している。本当にありがとう。みんなと一緒にラグビーできてよかった。卒業したら、みんなバラバラになっちゃうけど、機会があったらみんなで集まりたい。
 後輩たちには、俺と同じ思いをしてほしくない。そのためには、花園に行くしかない。大差で負ければ、きっぱりあきらめられるだろうか?微妙な点差で負ければ、まあまあだったと納得できるだろうか?僅差で負ければ、あと一歩だったと満足できるだろうか・・・?どの場合でも残るのは後悔だ。だから、絶対に花園へ行ってくれ!1,2年は才能にあふれている。みんなすごい能力を持っているから、それを最大限に発揮できるように、努力してほしい。時間は、あっという間に過ぎてしまう。だから、毎日の練習をたいせつにしてほしい。
 花園予選で負けた事は、後悔以外の何物でもない。しかし、ラグビーから学んだ事は、プレーに限らず、生活面でも生きてくると同時に、大きな財産となるだろうし、後悔もいい教訓になると思う。これから先、いろいろとつらい事もあるだろうけれど、ラグビーから学んだ事を糧にして乗り越えていこうと思う。
 濱崎先生、去石先生、鈴木先生、金丸先生、船越さん、OBの方々、父母会の方々、本当にありがとうございました。こんな恵まれた環境の中で、ラグビーができたのは皆さんのおかげです。
 最後に、父さん母さんへ
 今、俺がここにいるのも、飯が食えるのも、学校へ行けるのも、そしてラグビーができたのも、父さん母さんのおかげです。本当にありがとうございます。
 ただ、あとちょっとスネをかじらせてネ。


 Go Forward 宮高ラグビー!!
3年A組 山口 泰成

 よく卒業して行った先輩達が3年になってからの1年は早いぞと言っていたが、今自分がその立場になってみて、やはり早かった気がする。入学当時、私は正直ラグビー部に入るか迷っていたが、結局ラグビー部独特の熱意ある(笑)勧誘に負け、入ることに決めた。1年の夏あたりから試合に出してもらえるようになり、3年生の足を引っ張らないように、できるかぎり全力でプレーすることを心掛けてやってきた。1年の時は本当にただがむしゃらにやっていた気がする。
 2年次には、セブンスではあったが、初めて全国大会に出場し、とてもうれしかった。
 3年生となり、私はバイスキャプテンとなった。とにかく毎日花園出場を目指し練習してきた。
 私はこの3年間辛かった事、うれしかった事等、たくさんあった。特に辛かったことは、肩の脱臼癖がついてしまったことだ。やはり、初めは脱臼への恐怖心があり、試合する度にその恐怖心を振り払いながら試合をしてきた。花園予選まで、できるだけ肩の筋肉をつけて肩をカバーしようと努力し、何とか花園予選を脱臼せずに試合することができた。しかし結果の方は負けてしまい、花園の夢は絶たれてしまった。後悔しなかったというのは嘘になるが、準決勝、決勝と今までにないぐらい、良い緊張、良いコンディションで試合に臨めた。またチームの雰囲気もとても良かったと思う。
 私はラグビーからたくさんのことを学んだ。特に「ノーサイドの精神」どんなにチーム(自分)が劣勢な立場であろうと最後まであきらめずに戦い抜く!!この精神はずっと持ち続けて生きていきたいと思う。
 高校を卒業し、ラグビーすることができたら、今度は肩を手術して思い切りプレーしたいと思う。
 最後に、これまで指導してくださった濱崎先生、鈴木先生、去石先生、金丸先生、花園予選では肩のテーピングをしてくださった山内さん、本当にありがとうございました。


 翔太とラグビーとの三年間
3年E組 堀内 翔太

 ラグビーと共に過ごした高校三年間はまさに波瀾万丈だった。そんな部は他にはないだろう。
 一年生の頃は、とにかくついて行くだけでやっと。プラス三年生方が恐くて(練習中)。体力的にも精神的にもズタボロ状態であった。試合に出してもらっても、ごっつぁんトライのチャンスにインゴールノッコンをするという前代未聞のプレーをしてしまい、すっかりブルーになっていたものだった。
 二年生から一応レギュラーとなったがなんもチームに貢献できなかった。四強を逃したと非難をくらったが、三年生を責めるのはやめてほしかった。
三年生になり絶対花園に行ってやると心では思うのだが、人間とは本当に『楽』が好きなものだ。特に金丸先生の言う通り、自分は隠れ妥協主義かもしれない。フィットネス練習で精一杯、倒れるまで全力を出さなかったりした事を今でも後悔している。そんなこんな自分だから決勝で負けたのだろう。全岩手の練習に参加し、盛工の選手はひたむきであった。そしてとても積極的であった。この積極的な部分が宮高との違いではないのだろうか。
 ラグビーを通して大勢の人と友達になった。チームメイトとはもちろん、他チームとも。自分にとって大きな宝物である。宮高祭のメイン(?)であるラグビー部のダンスは最高である。あんなにはじける場がある事に感謝感謝である。ウォーターボーイズのように映画化されてほしいものだ。永田君をハメて坊主にさせちゃった事については深く反省し、何年か後の笑い話としたいものです。岩花先輩と秀樹君とで閉伊川で泳いだのもいい思い出である。とにかく三年間笑いあり泣きありで楽しかった。花園に行けなかったけれど、後輩が行ってくれるから心配はしていない。花園の芝ではないのはちょっと残念だけど、観客席で我慢しますんでヨロシクな!必ず宮高の時代が来る!!


 スクール☆ウォーズ
3年A組 佐々木 清文

 三年って早いなぁ。マジあっという間だった。でも、俺の人生の中で一番貴重な時間で、一番成長した時間だったのかもしれない。思い出がありすぎて、こんなに小さくまとめるのは難しいけど、頑張って書きます。
 俺が初めて河原グランドに行ったのは、中学校を卒業してすぐだった。たっつと山本、秀樹に初めてあった。ちょっと不安もあったけど、タッチフットやったりしてすぐ仲良くなれた。うれしかった。これからの高校生活に希望が持てた気がした。そのときから俺のラグビー人生は始まった。1年の時は水くみかタッチジャッジだけだったけど、どうにかして貧弱な体を強くしようと思って努力した。その時の三年生は俺にとってとても大きい存在だった。みんなうまかった。でも花園には行けなかった。その時、花園というものの遠さを知った。でも、それと同時に、行きたいと強く思った。二年になり、スタメンをつかみ、かなり気合を入れて臨んだ高総体、俺にとって初めての盛工戦・・・そのときの事件はおきた。気付いたら肩が上がんなくて、鎖骨がなかった。手術して全治半年、手術しなかったらくっつかないと言われた。本当にショックだった。悔しかった。パラってる半年間3年生や他のみんなには迷惑をかけた。本当に申し訳なかった。なんとか花園予選には出れたものの、ふがいない結果に終わってしまい三年生には言う言葉がなかった。そして、最上級生としての1年間。ボイスリーダーとなり、声でみんなを引っぱった。ただただ「花園」を目指し、頑張った。いろんなアクシデントを乗り越え、向かった最後の花園予選。頭には「花園」しかなかった。黒北戦でのトライは生涯忘れることはないと思う。黒北に勝った時点で盛工には楽に勝てるって思ったところがあったかもしれない。そのちょっとの油断で、もう少しのところまで来ていた「花園」を逃してしまったのかもしれない。試合が終わって俺は一つも泣かなかった。そのわけは、俺は試合に勝って泣くつもりだったからだ。というより泣きたくなかった。この三年間で、盛工に勝ったのは三年の県民だけだった。セブンスだったが、うれしかった。予選も勝ちたかったなあ・・・。
 もっともっと書きたいことがあったけど、この辺でやめときます。俺を支えてくれた恩師の濱崎先生、去石先生、鈴木先生、前川さん、坂下さん、父母会のみなさん、ありがとうございました。家族にも感謝しています。
 最後に、三年間共に笑い、共に地と汗と涙を流した友人にメッセージを・・・。
 たっつ、今までにない「熱い」キャプテンとして引っぱってくれてありがとう!! 泰成、そのかっこよさとものまねで女をよせすぎんなよ!! 翔、大学で強くなりすぎてFW化しないように気を付けて!! 角刈り、もっとビシッとしてください。目指せ馬渕先生!! 裕甫、金丸先生と釜石の波に乗れ!! 君はもてる!! 永田、腰振んな!! 豊けん、魚食え!! のんちゃん、暇があったら日サロ行ってみて!! 若狭、いつか「おふくろ」でメジャーデビューしよう!! 秀樹、俺を見るたび笑うのはやめてください。ビビるから!! ゲス、ツッコミの切れを磨け!! やまん、あんまり盗むなよ!! まもちゃん、ストパーかけたら即iショットして!! みんな本当にありがとう。そしてこれからもよろしく!! 
 P.S.後輩へ、27人力合わせてがんばって下さい。花園にはどこにいてもかけつけるから!!

 Go forward MIYAKO RUGBY HIP HIP !!


 私的考察記
3年A組 豊間根 英

 2002年10月20日、我々の夢は終えた。その日は連日続いていた陽気が嘘のように冷え込んで、応援をする生徒達も皆一様に身を縮こませていたのを覚えている。すべてが終わった後のロッカールームから篭れ出る嗚咽は、そんな寒さを泌むように忘れさせる熱さを持っていたように思えた。
 少し時を遡ろう、様々なことがあった、いや、ありすぎたかもしれない。私的には山本氏のハイタックルによる試合終了間際の退場劇が忘れられないのだが(私もほんのちょっとだけすごいことを1年生のときにしてしまっているので他人のことは言えない気もする)。菅平では朝鮮学校のチームとの試合をし、ラインアウトのサインを聞いて軽いカルチャーショックなどを味わってみたものだが、帰る時に誰かいなくなっていないか自分だけで慎重に数えたことは言うまでもない。疲れると、思考がとても鈍くなって試合の出来事なんてほとんど覚えていないので(多分私だけであろう)、あまり試合内容について、なんだかんだ言えないのだが、あまり字数を増やしてもなんだと思うので、特に記憶の薄い、けれども比較的最近な黒北戦なんかがいいでしょうか。
 この試合を勝てば、次は決勝だった。今、僕たちがいるのは控室、あと数分もすれば、グランドに立ち、その未来を握りしめんと、自らの魄を酷使させる者達だ。屠るべき相手は黒沢尻北高校ラグビー部、新人大会での王者、自分たちに敗北という苦い土をなめさせた相手、八木マジックとも呼ばれる昨年からの印象はあてにならない急成長なる力、彼等の前にある壁はありきたりだが、大きかったといえよう。控室の空気には緊張の色が濃かった。音楽を聴く者、話をする者、緊張の解消は皆それぞれだったが、それでもなお、そこにいる者達の内にある熱き思いは同じであった。あと少しで彼らは緊張という縛りを解き放ち、熱き思いの塊となるのである。ホィッスルの先をくわえ、一瞬止めて溜められた息が中の空気を押し出す。青い空へと高く耳をしびれさせる音が吸い込まれていき、それを追うようにして楕円球が高々と蹴り上げられる。まさにお互いに死力を尽くす試合だった。ボールを持ち、駆け走り、倒し、倒され、奪い、奪われ、ガラ空きの所にボールを蹴りこまれた。タックルに入ってもはずされもした。危うい場面でのペナルティーもあり、チャンスもあった。そして、横沢は横に流れなかった。この激しいぶつかり合いは、あと数分で終焉をむかえる。点差はさほどなかった。しかし、勝ってはいた。だれも逃げ切ろうと思うものはいなかった。あと1トライでも多くと、常に前を見続けていた。それは一種の魔法なのかもしれない。高くグランドに鳴り響いた笛の音はその場にいる者を一瞬硬直させる・・・。
 私はラグビー部に入って本当によかったと思っています。なんのひねりもない言葉ですけど、心からそう思っています。こんなに楽しい3年間を過ごせて、特に先生方には感謝の言葉をいくら紡いでも足りません。同級の人たちにも、後輩にも同じくらいありがとうと言いたい。あとは、何だろう・・・。いちおう後輩へ、いろいろいたらない先輩ですが顔を見かけるたびに挨拶をしてくれてありがとう、結構、嬉しいもんです。心に宿し、己を動かす力となるもの、人、それを“情熱”という(これは特定向け)。これからも人に夢を与えられるような活躍、期待しています。

 
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