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| ■涙の数だけ強くなりたい |
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バイスキャプテン 3F 松本 俊輔
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「夢」それは無残にも打ち砕かれ叶えることができなかったはかないもの。
「約束」それこそ唯一の支えであったが、結局守ることのできなかったもの。
「花園」それは辿り着くことのできなかった夢と約束である。・・・込み上げてくる悔し涙を押さえることができなかった最後の日。ぜったい負けるわけにはいかなかった。試合前のロッカールームで部歌を歌った時、3年間の記憶がよみがえってきた。ずっと俺はラグビーを好きになれなかった。始めたきっかけも何か新しいものに挑戦したいという想いだけだった。1年の時、「花園」で味わった感動は夢の中での世界だった。そしてあの感動を今度はプレーヤーとしてもう一度・・・。2年の時、ラグビーやって初めて涙を流した花園予選決勝。勝負の厳しさを身を持って感じた。天国と地獄、その差は言葉に表わせない程皮肉なものである。そして最後の年。新チームのスタートは悲惨なものだった。それからちょうど1
年。最後のリベンジの時がやってきた。・・・勝負には負けた。夢は夢で終わった。でも最後のあのトライには3年間同じ夢を追いかけてやってきた仲間達の想い、最後まで俺達を信じてくれた濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生の熱い気持ち、応援してくれた友達、支えてくれた父母の方々、宮高ラグビー部を愛するすべての人の想いが詰まっている。どんなトライよりも貴重なトライである。そして、ラグビーってあんまり、好きじゃないけど、唯一本気になれるものだってことが分かった。宮高ラグビー部だったこと誇りに思う。その想いが俺にとっての財産である。でも、まだ夢を見ていたいな・・・。
そして、俺としては夢をかなえることで親孝行したかった。文句ばっか言いながらもラグビーやること理解してくれた父、ワガママばっか言って一番迷惑かけてしまった母に初めて言います。今までありがとう。
最後になるけど、俺は心から涙を流せる幸せ者だ。たしかにあの時流した涙は悔し涙だったかもしれない。でも3年間やってきたプロセスには後悔していない。同じ一つの夢を求め、そしてそれを信じて頑張った仲間との日々は最高だった。そんな仲間と流した涙はきっと未来へのステップになるだろう。俺は一人じゃ生きてなどいけない。仲間がいた、理解してくれる人がいた、支えてくれる人がいた、愛してくれる人がいた、応援してくれる人がいた。何よりも大切なものを得ることができたこの3年間は、俺にとっての原点となった。これからさらに辛いこと、苦しいこと、悲しいこといっぱいあるかもしれないけど、果てのない幸せを求めて生きていきたい。そして、新たな人生、ここがすへての出発点・・・。
“O n e f o r All, All f o r O n e”
たくさんの人達のおかげでここまでやってこれた。今まで本当にありがとうございました。
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| ■涙の数だけ強くなりたい・2 |
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3G 大掘 和宏
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ラグビー部に入っていろいろなことがあった。辛いこともあったし、楽しいこともあった。一年の始めの頃は楽しかったが、だんだん練習もきつくなり、やめたいと思った時もあった。しかし、時間がたつにつれてその思いも消えラグビーが楽しくなった。一日でも早く先輩たちに追いつこうと必死で頑張った。しかし、その先輩たちが負け、新チームになった。新人戦、高総体、県民体と決勝で盛工に負けた。だが、勝利を信じてのぞんだ花園予選決勝。前半二十分くらいまでは互角だった。しかし、均衛はやぶれあっという間に点差が開いていた。結局、自分たちのプレーができないまま試合が終っていた。もっとこのチームでラグビーがしたかった。
今思うと、あの時、あーしてればよかったと思うことがあるが、こんなことがないように後輩たちには練習に一生懸命取り組んでほしいと思う。
最後に、濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生、OBの方々など、応援ありがとうございました。
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| ■三年間をふり返って |
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バイスキャプテン 3G 坂本 善也
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ラグビー部に入りいろいろな事があり、たくさん勉強になった。ラグビー部に入ったのは勧誘がきっかけで、それまではラグビー部があること自体知らなかった。一年の頃は、夏合宿が終るまですごくやめたい時期が続いたがなんとか続けた。二年になり試合に出れるようになってから、ラグビーが楽しくなってきた。たくさん試合をしているうちに、自分がチームのためにどんなプレーをすればいいのか分かってきた。FWの中で体が一番小さかったのでアタックはしないで、ひたすらポイントまで走ってオーバーをした。また、菅平に行ったころから少しずつタックルができるようになり、タックルをするのが恐くなくなった。特にタックルは自分より大きな相手を倒すために低く入ることを意識した。そのおかげで、自分達の代になるころには、ディフェンスにかなり自信が持てるようになった。いつのまにかスタミナもついてたくさん走れるようにもなっていた。しかし、一、二年の頃には大きなケガをしなかったのに、三年になり骨折してしまった。自分が大事な時期に練習ができずに、みんながたくさん試合をして成長しているのがくやしかった。あせっていたので治るとすぐにみんなと同じ練習をしたらまた折ってしまった。あせりは禁物だということを体で覚えた。医者からは花園予選はあきらめた方がいいと言われたが、なんとか試合に出してもらうことができた。ケガの前に比べて持久力も体力もおちていたが、準決勝も決勝も自分ができる精一杯のプレーをすることができた。二年の時にたくさん試合に出てラグビーの楽しさやルールが分かってきて、これからという時の二回のケガはショックでもうダメかと思ったけれど、最後まであきらめないでよかったと思う。最初はすごくやめたかったけれど、今では宮古高校ラグビー部として仲間と過ごした三年間を誇りに思う。ラグビー部に入って本当によかった。最後に、濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生、ブライアン本当にありがとうございました。
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| ■三年間をふり返って・2 |
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3H 船越 暁
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自分は最初ラグビー部に入って失敗したと思った。高校ではクラブは適当にやろうとしてたから厳しいクラブにはいる気はなかった。それなのにラグビー部に入ってしまった。それから一応やめずにやっていたけど、ラグビーのおもしろさが全くわからなかった。試合に出てもすげーつかれるし、いてーだけだって思っていた。そんなおれを変えたきっかけが、おれらの2コ上の花園予選決勝と、花園だった。すげー感動した。それからやる気が出てきて三年の頃までには、ラグビーが、とてもおもしろくなった。練習は嫌いだったけど続けてよかったと思っています。もっといろいろ書きたいのですが、このくらいにしておきます。
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