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| ■一杯の感謝 |
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3C 平井 築
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ノーサイドの笛
みんながいるからなんにもこわくなかった。みんなのラグビー見てるのが、一番大好きだった。
空は曇ってて、雨が降ってた。幸介くんの肩に手おきながら、みんなが戻ってきたら「おつかれさま」って笑顔でむかえようって決めてた。過去の三年間、どんな天候でもどんな精神状態の時でも、みんなが頑張ってきたの見てきたから、終わりという答えに実感もてずに、夢のようだった。幸介くんがずっと下むいたままこぶし握りしめてて、感謝とか後悔とか、よくわからないけど涙が止まらなかった。
こんなにまで、人に感動を与えることができるみんなが、すっごい大好きで宝物で、自慢。私がみんなにできた事なんて、何一つない。マリさんは、マリさんのみんなに対する愛がすっごく大きくて、人にみんなに優しくて、自分よりみんなを優先、自分犠牲にしてでもみんなに尽くした。毎日毎日悩んでたけど、花園に行ったあのすごい人達の主務を最後まで務め果たしたすっごい人。美紀子先輩程努力の人もいない。おまけにしっかり自分もってて、優しい。役にたたない自分勝手な私を、それでも必要としてくれた。尊敬できる二人の先輩を見てきたのに、それなのに私はずっと自分が一番大事だった。そんな自分が嫌で嫌でたまんなくて、自分がクラブにとって役たたずで迷惑かけるだけで、先生やみんなの顔見る度申し訳なくて。素直になれなくなって、自分に自信なんて全然なくなってた。1
・2年の頃、部室の前で洗濯待ちしながらいろんな人と月見て語ってた。
3年になって夏祭りの花火を、一人で部室の前で泣きながら見た。今思えば、あれ程何に悩んでたのか、涙したのかわからない。そんな事で悩んでいるなら、もっともっと精一杯務めていればって、後悔は一杯ある。でも結局、これが私だ。
たくさんの出会いの中で、一杯喧嘩した。語りあかした。辛い、苦しいのなんて毎日だった。でも、だから成長した。たくさんの考えを教わった。
人って、元気なのが一番!でも、楽しいだけの中からでは大切な事は学べない。
ラグビーを今やってるみんなに、挫折や何かの壁ができた時、それは自分が成長してる時。それ乗り越えた時、絶対輝いてるよ。目に見えない、経験として自分のものになる。
こんな私を最後まで働かせてくれた濱崎先生、廣瀬先生ありがとうございました。いつも私に怒ってくれた、ちゃんと話をして注意して教えてくれた八木先生ありがとうございました。私にとってお父さんのような前川さん、坂下さん。いつも元気で、支えてくれて、なにより最後の最後まで応援してくれてありがとうございました。たくさんの差し入れと、千羽鶴、愛情を下さった父母のみなさん、OBのみなさんありがとうございました。
そして、私の両親。選手で活躍してるわけでもないこんな私を、試合が終わった後に「自慢の娘だよ」って言ってくれた。迷惑と苦労ばかりかけてきたのに、文句も言わず助けてくれました。本当にありがとう。私の自慢の親です。
この三年、やめたくてもやめることできなかった。
みんなから、絶対離れたくなかった。
ありがとうで一杯です。心から、みんなにありがとう。
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| ■私とラグビー |
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3D 鷺田 真一
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身長164cm、体重45kg。これが入部当時の自分の体である。とにかくラグビーなんてできる体じゃなかった。それでも俺は宮高に入ったらラグビーをやると決めていた。私がラグビーをやろうと思ったきっかけは、私の従兄が宮高でラグビーをしていたからだった。一度、小学生の時、黒工まで応援しに行ったことがあった。その時私が目にしたのはトライをとるためにチーム15人が一丸となって助け合いながらボールを追っている姿だった。私はその時、野球をしていたが、野球にはない何かを感じた。本当に印象的だった。
私にとってこの3年間は無駄ではなかったと思う。何回も一本目、二本目を行き来した時期があった。とても二本日にいて他の三年生のみんなとプレーできないのがくやしかった。でも目標を見失わず努力していけば道は開けていく。そう信じて練習に励んだ。とにかく自分が出る時はもう後がない。このチャンスを逃すと一生後悔する。そう思いながらプレーした。とにかく高総体、県民体はいいから、花園予選でプレーをしたい。そんな気持ちで一杯だった。そして花園予選スタメンに入ることができた。とても幸せだった。準々決勝のトライは自分にとって忘れられないだろう。決勝では、自分は何もできなくて本当にくやしい思いをした。2カ月たつ今でも、そのときのことが頭に浮かんできて眠れない日がある。でも、そのくやしさを忘れず、今後の人生の糧にしていきたいと思う。
後輩達へ・・・1年のとき、八木先生が言った、「ラガーマンたる前にスポーツマンたれ」これを忘れないでほしい。他の範となり、高校生らしさ、スポーツマンらしさを失わない事。これが一番大事だと思う。
最後に、こんな私を見捨てず指導してくださった濱崎先生、廣瀬先生、船越コーチ、金丸先生、坂下さん、前川さん、父母会の皆さん、本当にありがとうございました。
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| ■未来(こうはい)へ・・・。 |
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3D 藤岡 大樹
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1年の時、花園を経験した。先輩達のすばらしいプレーと会場の雰囲気に誰もがもう1度花園に戻って試合をしたいと思ったはずだ。その思いで3年間練習した。3年間を思い由すと、辛いと思うことはあったけれど、後悔ということは決して思わない。
練習は辛かった。最初の頃はラグビーをよく理解できなかったからつまらないものだった。ただ何も考えずに練習していたのでよけいに辛く感じた。今、練習が辛いと感じている後輩がいたら、何のための練習かよく考えてやってほしい。3年になったら練習を辛いと感じなくなった。試合に勝つための練習だと思うと練習がとても大切なものに感じたからだ。ハーフとしてチームにできることは何かと考えた。やはりパスしかないと思ったのでパス練だけは誰よりもやった。何か1つでも誰にも負けないというものを持ち、それを試合で生かせばいいのだ。それが魅力になる。俺がオール岩手に選ばれたのも3年間努力してパス練をし身につけたパスのおかげであると思っている。
俺達の3年間のすべては、たった1時間程度の試合であっけなく終わってしまった。泣いている人もいたが俺は泣かなかった。くやしさは確かにあったけれどそれよりもこのチームで3年間やってこれてよかったという満足感が強くあった。負けたくやしさよりもこのチームでもうラグビーができないくやしさの方が強かった。本当にいいチームだった。後輩達には花園に行ってもらいたい。でもそれ以上にチームの大切さをわかってほしい。ラグビーは1人ではできない。一人一人の力でトライが生まれる。チームがあって自分がいきてくる。3年間の思いなんて多すぎてうまくまとめれなかったけど3年間ラグビーをやって1番学んだことがこのことで1番後輩達に伝えたい。
最後に、共にプレーしたラグビー部員、精神面で支えてくれたマネージャーの築、見守ってくれていた両親、濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生、ラグビーに関わった人、すべてに本当に感謝してます。ありがとうございました。
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| ■三年間 |
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3F 斎藤 幸介
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平成十年春 宮古高校に入学した。クラブはボート部にしようと思っていたが、先輩たちの勧誘に負け、進学にも有利ということで、あることすら知らなかったラグビー部に入部することになってしまった。
楽しかったのは最初の一カ月だけでその後やる気はまったくなくなった。練習中首をけがしてパラっていると毎日どうやって休むか考えるようになっていった。そんなことを考えているうちに花園へ行き、二年になった。
二年の時は練習が楽だったのでやる気はあったと思う。新人戦・高総体・県民体とずっと三位だったが、花園予選では黒工を倒して決勝進出したが負けた。自分たちの代になり最初の公式戦である新人戦では、順調に決勝まで勝ち、決勝の盛工戦前半十分、タックルしようと思い走り出して気がついたら救急車の中にいた。左腕がまったく動かなかった。医者の診断ではけい椎損傷。終わったと思ったが、練習を八カ月休み県民体にはなんとか復帰できた。花園予選では決勝で盛工に負け、絶対泣かないと思っていたが泣いてしまった。
何度もやめようかと思ったけど三年間続けて本当によかったと思う。濱崎先生、廣瀬先生本当にありがとうございました。
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| ■三年間・2 |
3F 中里 好伸 |
十一月五日、花園予選決勝、午後三時十分、ノーサイド。この瞬間、俺の高校ラグビーは終わった・・・。
決勝前夜、緊張でなかなか寝つけなかった。次の日、朝から落ち着かなかった。じっとしていられなかった。決勝前の練習の時もずっと緊張していた。試合直前、ロッカールームで濱崎先生と握手を交わし、部歌を歌った。泣いた。どうして涙が出てきたか分からなかった。感動?違う。くやしさ?全く違う。それは生まれて初めてのモノだった気がする。
グランドに出て客席と応援席を見た。不思議と緊張は消えていた。さっきまでの自分がウソのように落ち着いていた。勝てる。そう確信した。
そして、午後二時五分、キックオフ・・・。
どんな試合だったか覚えていない。あまりにも短い六十分だった。なんかあっけなかった。負けたことを信じることが出来なかった。涙が止まらなかった。思い出書いてるとキリがないのでやめます。読んでる方もツマラないしね。
ぶっちゃけた話、全く後悔していないと言えばウソになるけど、この三年間は自慢できるものになりました。そこで後輩に一言。適当にやろうがそれは勝手だけど、後悔だけはしないように。一生懸命ガンバレ。マジで3年なると時間が過ぎるの早いヨ。
館、みのさん、茂ちゃん、健一、奥山、鷺田、大樹、さいとぅ、松本、大掘、善也、ふな、築、三年間ありがとう。そしてこれからもよろしく。
最後になりましたが、濱崎先生、廣瀬先生、勝宏先生、金丸先生、八木先生、船越コーチ、前川さん、坂下さん、OBの方々、宮高ラグビー部を支えてくれた全ての方々、反対を押し切ってラグビーを始めた俺を応援してくれた両親、本当にありがとうございました。
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