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 日だまりにて
キャプテン 3D 奥山 勇太

 1998年12月27日、私は花園のグランドの中にいた。だからと言ってプレーヤーとしてグランドに立っていたという訳ではない。水くみとしてだった。
私はだれよりも近くであの試合を見ていたのだ。あんなに強かった先輩達が一回戦で負けた。ロッカールームで先輩達が泣いていた。八木先生は選手に向かって叫んでいた。「いいゲームをしたら泣かないって約束したじゃないか!!……。」そう言った八木先生の目からも涙があふれていた。一人ひとりが大声で泣いているのを私はロッカールームの外で見ていた。花園という場所がこんなにも素晴らしい場所なんだなあと感動し、またここへ帰ってきたいと心から思った。

〜それから2年後、私は花園予選決勝、キャプテンとしてグランドに立っていた。自分達が勝っことを信じて戦った。しかし点差は大きく広がった。盛工に歯がたたなかった。トライをされてインゴールに戻った時、キャプテンとしてみんなにかける声が見当らなく孤独を感じていた。そんな時、大きな声で応援してくれる人達がいた。宮高生のみんながいた。親がいた。先生がいた。OBがいた。くやしいのは俺達だけじゃない。みんなくやしいんだ。そう思った。みんなの気持ちが一つになった時、終了間際のトライが生まれた。あの時の歓声の大きさがみんなで取ったトライだということを証明している。しかしもうあの花園という地へ帰ることはできないのであった。思えば3年間、この日までいろんなことがあった。いっぱい泣いたし、いっぱい笑った。いっぱい悩んだ。二年生で国体選手になり、三年生では県選抜から外れた。毎回決勝に進むものの、盛工に大差で負け続けた。恋愛もし失恋もした。そして、私のラグビー人生に大きく影響し、いまでも忘れることのできないつらい思い出、一年時の停学。栄光と挫折のくり返しで自分は精神的にも強くなれたと思う。それぞれの経験が今の自分へのプラスになっていることは事実だし、そしてこれらの経験は、ラグビー部でなければ味わうことのできないものなのであった。本当にラグビー部でよかった。県内外へ遠征し、たくさんの人と出会い、友達がたくさんでき、高校生活を楽しくすごせたのも、みんなラグビーをやっていたおかげなのです。だから後輩達には、いろいろな経験をしてもらいたい。ラグビー部であることで犠牲にしたものも数知れない。でもそれ以上に得るものはとても大きい。宮高ラグビー部であることが幸せだと思いますよ。宮古高校炎のタックル〜。私がお父さんになって、おじいちやんになるまで見続けたい。100年後、200年後の後輩達へエンジの魂を受け継がせていってください。
去年の河原グランドに私は確かこう書いている。
『ある先輩が言った。「ラグビーは人を大きくするスポーツなんだな……。」
 僕も来年そう思うのだろうか。』
 私は大きくなれのだろうか。大学でもラグビーを続けるのでこのことについては大学を終えてからゆっくりそう思いたい。最後に、私達を応援してくださったみなさん、いままで支えてくれてありがとうございました。そして、こんな頼りないキャプテンについてきてくれてありがとう、みんな。


 Memory−青春の光−
3B 館 顕久

 これほどまでに1人の人間を成長させ、人格さえも変えさせたものがあっただろうか。ラグビー部だったこの3年間は、一日一日が初体験でした。そして色々な物事にあんなにアクティブに参加する自分が信じられなく、一皮も二皮もムケた自分自身を、とても誇りに思っています。
 ときどき、ふとしたことで、あの日・あの時・あの場所が甦ります。ギラギラ輝く真夏の光線を体いっぱいに浴びながらみんな一緒に汗を流し、落雷なんて気にもせず試合をしたことさえもあり、朝から叫んだあの高原のことを忘れることができるだろうか、いや忘れることなんてできないでしょう。あれほどまでに見晴らしが良く、走るのに適した地形はそう簡単には無いはずです。
 試合のためとはいえ、練習は自分を豊かにしてくれるものです。だから、一年漬けでない練習をして下さい。確かに、運動能力やうまさは大切だけれども、知性や品性も大切です。何も、体を動かすだけが練習じゃないのだから。
 ラグビーはかなり面白いし、且つためになるものです。しかし、どんな勝負でもそうですが、「面白い」と思えるのは「勝つ」からであって、「勝つ」ためにはある程度我慢してやらなければならない段階があります。練習に安易な方法はないというのは、本当にそうだと思います。そして、どんな新奇な方法よりも、まともな正改法が一番たしかで一番早く身につくと思います。
 練習の仕方には性格や人格が出ると思います。まっとうなやり方で、堂々たる練習をして下さい。引退したらあっというまにパーッと今までの積み重ねが消えてしまうようなただの練習では、それこそ何のためのラグビーですか。人生にとっての血や肉となるように、プロセスを大事にして下さい。
「難に臨んではいやしくも免れんとする勿かれ」
「かん難汝を玉にす」です。宮高生なら分かります。
夢を夢にしないで、夢を信じて前進Fire!


 後輩達へ
3B 村上 稔

 私には後輩達に伝えたいことがたくさんある。たくさんありすぎて書ききれないので、いくつかにしぼってみた。
 初めに、仲間と共に過ごす時間を大切にしてほしい。今はまだ分からないと思うが、みんなでつらい練習を頑張ったり、勝った試合、負けた試合、また、部室でのおしゃべりなど、これらは全て貴重な時間であるのだ。そして、その貴重な時間にもいっかは終わりがくるのだ。皮肉にも、私はクラブを引退してから、そのことに気付いてしまった。非常にさびしいものである。なので、これからは一日一日を大切にしていってほしい。
 次に、絶対に花園に出場してほしい。私は一年生の時花園を見てきたが、花園は本当に素晴らしい場所である。先輩達の試合を見ながら、いつかは私もこのグランドでプレーしたいと思ったことを今でも覚えている。花園へ出るための道は厳しいが、ぜひ頑張ってほしい。自分達のためにも。そして、あともう少しで涙をのんだ先輩達のためにも。
 最後に私はBチームのキャプテンらしきものをやってきた。Bチームとして戦った試合は全て覚えている。本当にいろいろなことがあった。セレクションの時に、FWとBKSの連携が上手くいかずに、達也を泣かせてしまったこともあった。Aチームに比べてBチームはかなり弱かったと思う。しかし、私はBチームの強さを知っている。練習試合で前の日に大敗しても、次の日には同じ相手に勝ったということが何回かあった。これはみんなが負けず嫌いであったためだと思う。そういう意味でこのBチームが主力となる今の宮高は絶対に強いはず。最後にキャプテンらしいことは何もしてこなかったが、こんな私にもついてきてくれたBチームのみんなにお礼が言いたい。ありがとう。


 後輩達へ2
3C 坂本 茂則

 俺は文章を考えたり、書いたりすることが得意だが嫌いだ。なぜなら、何を書こうかと悩むのが面倒臭いからだ。しかし、この「河原グランド」では、書きたいことがあり過ぎて、何を書こうかを悩むくらいだ。
 中学校の噴からラグビー部に入ろうと決めていた。高校での部活では高い目標を目指している部活がよかったし中学校の頃にもラグビーを経験していて非常にラグビーに魅せられていたからだ。とにかく俺が一年の時の三年生は体がでかかった。花園にも行った。憧れの人達だった。一年の頃は、色々と問題もあり、部活をやめようと思ったがやめなかった。あそこでやめていたら、俺は毎日意味のない日々を送っていたことだろう。本当にやめなくて良かったと心から思っている。
 二年生の時はレギュラーとして大会にでていた。先輩の方々には色々と迷惑をかけてしまった。三年生の頃の思い出をいっぱい書きたいので二年生の頃の思い出はこの辺で・・・。スイマセン、高央さん、金野さん。
 三年生は色々なポジションをやった。N O.8、ウイング、センター、そして最後はフルバック。N O.8をやらせてもらったことは、非常にいい経験になっていろんな角度からラグビーを見れるようになり、先生方にはとても感謝している。全ての大会で二位だった。新人戦と高総体では、足の捻挫で試合に出場できずチームに迷惑をかけてしまった。県民体では決勝にもでて、俺にとっても初めての盛工戦だった。トライをとることもできて、自信をつけていた。そして、花園予選決勝。勝利を信じてグランドに向かったが、花園には届かなかった。大会直前の日に、濱崎先生がみんなの本気のタックルを生身で受けてくれたことは今でも、これからもずっと忘れません。
 濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生、八木先生、父兄の方々、本当に今までお世話になりありがとうございました。


 三年間総括
3C 佐々木 健山

 自分は、三年間ラグビーをやった。いろいろあったけど、本当にやめようと思ったことはなかった。正確には、やめても他に行くような部が無かったし、何よりラグビー部の伝統とか誇りとかそういうのが好きだった。一年生の時の勧誘で、一番印象に残っているのは、「宮高はラグビー部が引っぱっている」という言葉。これは嘘ではなかった。一年生にとって、練習とかそういうのより余興や宮高祭でのダンスとかの方が辛かったような気もする。一見、いらないような事だけど、みんなを盛り上げたりする役を、これからもラグビー部にやってほしいと思う。それに、人前で恥ずかしい格好をすることもあるけど、腹をくくることも大切。いつまでも悩んでたり中途半端は一番よくないということを教わったような気がする。時にはバカになることも大切だと思った。
 ラグビー部に入って、いろんな人に出会った。先輩方や父母の方、先生方、後輩たち、そして、同い年のみんな。日を追うごとに、一人また一人とやめていき、ついには十三人とマネージャー一人の十四人になってしまった。最後の一年はこのメンバーだった。日に日に性格が変わり、ついには笑いをとる役になった人もいた。充実していたと思う。こんな部は他にない。雨でもやって、血を流して、汗がダラダラで鎖骨骨折してダンス踊る部はそうは無い。だからやめたくない。やめてはいけない。どうせやるなら、人がやったことのないような。そういう気持ちで入った宮古高校ラグビー部は、いろいろな教えを思い出とともに与えてくれたと思う。後輩のみんな、今、辛いと思っている人もいると思うけど、三年の終盤になると、「どうがんばっても一月まで」という期限ができる。そうすると急にさびしくなる。ラグビー部をやめたくなくなる。しまいには、宮高自体を
やめたくなくなる。今自分はそんな感じです。今を大切に。
 河原グランドを書くにあたり、自分は一年の頃から、このことを書こうと三年間考えてきた。でも、多すぎて憶えていない。憶えているといったら、春合宿の富士山が美しかったことです。
 最後に、何かと問題児であった自分達を最後まで見捨てず見守ってくれた、濱崎先生、廣瀬先生、金丸先生、佐々木先生、ブライアン本当にありがとうございました。そして、食事の面や、費用の面でも支援して下さった父母の方にも感謝しています。
本当にありがとうございました。
入ってよかった。

 
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