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| ■ラグビー |
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主将 中澤 高央
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なんで負けたんだろぉ?最近ふと思う。一年の時何も知らずにラグビー部に入った。面白かったのは始めの一か月だけだった。いきなり厳しくなり、やめていく人が出てきた。夏合宿は今まで生きてきた中で最悪の日々だった。なぜ朝五時に起きてグランドを走らなければならないのか?バカみたいだった。冬合宿はもっと最悪だった。ハーフだけ別メニューの練習。やめたいと思わない日などなかった。春になり、初めて勝利の喜びを知った。関東遠征、最終日、最後の試合、そして雨。条件はととのっていた。前日までは1トライも取れず、やな雰囲気だった。だがしかし、トライ数6対0で圧勝。泣いた。ラグビーが面白かった。二年の時は最高だった。目標である花園に出ることができたからだ。運とはいえ、誰もが出れるわけではない。負けはしたものの、いい経験となった。新人戦の思い出はない。というか思い出したくない。とりあえずそんときの宮高は弱かった。二年の春合宿はすげー調子がよかった。はっきしいって強かった。三年になり八木先生がやめ、濱崎先生が釆た。キャプテンのオレは正直苦労した。考え方が全く違う。濱崎先生はどちらかというと現代のラグビーだ。でも今思うとオレたちには八木先生の根性ラグビーがあっていたのかもしれない。高総体は黒工に負け、県民体は盛工に逆転負け。もう負けたくない。勝っんだ。今までの思いをすべてかけた花園予選。黒工は弱かった。思い通り試合はこびができた。そして、初の決勝戦。いっのまにか負けていた。試合が終わりベンチにもどると、廣瀬先生がオレを抱いて「おつかれさま」と言ってくれた。いっきに涙が出た。廣瀬先生は最後までオレらをみすてずに支えてくれた。すごくうれしかった。とても感謝しています。最後にいろいろな面でオレ達を支えてくれた、濱崎先生、父母・OBの方々、今までどうもありがとうございました。
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| ■3年間のラグビー生活 |
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副主将 金野 宏保
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書きたいことがたくさんありすぎて、何から書いたらいいかわからないが、思い出す順に書いてゆこうと思う。剣道部に俺は所属していた。納得できないことがあって小学一年生の頃からやってきた体の一部のような剣道を悩んだ末にすてた。八木先生は覚えていないかも知れないが、入部しようか迷っていたときに俺のことを「ノドから手がでる程欲しい」と言ってくれたのは、大きかった。ダマされているような気もしたが。
入部して一番大変だったのは、親だった。一切ラグビーには関係しないと言われた。だから、三年になったときの花園予選の決勝のときくらいしか見に来ないと思っていた。しかし、直や高央のママのおかげで、二年の時の引退試合を見に釆た。なんかイヤな感じだったが、うれしかった。
とりあえず、幸仁さんが怖かった。心底怖かった。なぐられたし、けられたし、アイアンクローもされた。けれど入部したての俺に決してやさしい言葉ではなかったが基本を教えてくれたのは幸仁さんだった。八木先生にアピールをしようという気持ちもあったが、タックル練習は幸仁さんと同じグループに入るようにした。地獄だった。
俺はバイスキャプテンだった。FWのバイスはてっきり直がやるもんだと思っていた。直は赤点というものを人より多く所持していたため、バイスを却下されたらしかった。つまり俺は直の代理だった。幸仁さんには俺じゃなく直をバイスに推していたと、何度も言われた。他の二人のキャプテンつまり高央と一也は花園経験者だった。だからなおさら劣等感と言うべきものを感じていた。なんてかっこいいことゆってみたけど俺が下手くそなだけだったんだけどね。でも決勝で盛工に負けたときには責任を感じた。下川にあやまったら軽く「そんなことねーよ」と言われた。救われた。実際、バックスに走れね一つかえねーとさんざんに言われ、去年のFWと比較してはブルーになり、黒工には認定トライとられるし、ほんとダメFWだった。けど、すげー楽しかった。
今、あの日の決勝を思い出して寝れなくなることもあるが、入部前や入部したてのころは不安で寝れなかった。身長180センチ体重なんて65キロ。どっからどうみても貧弱な子供だった。約二年間で15キロ増やした。現一、二年生も軽いやつらが多いが絶対体重は増やせる。だから頑張ってみてほしい。
決勝で負けた事実は俺には後悔の固まりでしかないが、これからの人生の中で上手につきあっていこうと思う。たくさんの人にお世話になった。感謝しています。宮高ラグビー部に所属できたことを誇りに思う。
最後に俺のマネージャーの美紀子へ
80キロになれたのはあなたの食料供給のおかげでした。ありがとう。
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| ■ラグビー生活 |
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副主将 藤原 一也
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新人戦、高総体で勝つことのできなかった黒工をたおしむかえた決勝、盛工戦。自分達の勝利を信じて試合にのぞんだ。試合は終始盛工ペースで進み、結局そのまま最後までいってしまった。完敗だった。もっと良い勝負できると思っていた。くやしかった。もっとこのチームでラグビーがしたかった。
テレビで花園を見てて思ったことがある。それは、試合したことのあるチームが活躍しているのを見て、なんかうれしくて、なんか誇りに思えたこと。菅平でやった仰星は優勝するし、盛工もベスト8までいった。逆にそれを見て、オレ連ならどこまでいけたか、もしかしたらけっこういけたかもって思った。そんなこと考えてもどーしようもないんだけど。負けた後で、もしかしたらとか、あの時あーしてたらとか考えたらきりがない。後輩達には、そんなことを考える必要がなくなる結果を残してほしい。そのためにも、普段の練習や試合を精一杯がんばってもらいたい。そして宮高ラグビー部の新しい歴史をきずいていってもらいたい。
ラグビー部入っていろんなことがあった。楽しいこともあったし、辛いこともあった。貴重な体験もできた。まだ18年しか生きてないけれど、ラグビー部で過ごしたこの三年間が今までで一番充実してた。ラグビーを通して学んだことをこれからの人生で生かしたいと思う。一年のときはラグビー部をやめたいと思っていたが、今では、ラグビー部に入って良かったと思っている。
廣瀬先生、濱崎先生、船越コーチ、OBのみなさん、父母会のみなさん、そして八木先生、本当にありがとうございました。
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| ■河原グランド |
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マネージャー 坂下 美紀子
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引退の日。決勝戦の後、皆がグランドから帰ってくる姿を見て涙がでた。でも実感はなかった。終わる気がしていなかった。盛工に差をっけられても大丈夫な気がしていた。ロッカールームに戻っても誰かの泣き声を聞きながら、「仕事をしなきゃ」と思った。帰りのバスの中では皆明るくて、宮古に着いてシルクロードでごはんを食べ、解散。あっけない終わりだった。高央のお兄さんに車で家の近くまで送ってもらって、高央と金野と聖司君にバイバイを言った。家に着いてお風呂に入り、ベットに横になった。そのとき、涙があふれてとまらなかった。なんの涙か分からない。悔しさの涙か、寂しさの涙か、感謝の涙か。泣きながら、気がつくと寝ていた。案の定、次の日は目がぶっくりはれていた。
三年間、何をやってきたのかよく分からない。とにかく必死だった。マネージャーだということの負い目もあった。自信もなかった。人と話すのは苦手だった。一人とり残されるような不安もあった。自分の無力さに腹がたった。でも三年間続けた。やめられなかった。皆のことが好きで、ラグビーが好きだった。だから、誰よりも勝ちにこだわりたかった。人より早くクラブに行って、人より遅く帰る日々。それはとても意味のある毎日だった。と同時につらい毎日だった。でも、クラブ時代、誰かに本気でつらいとこばしたことはない。と思う。それは誇りだ。
私にはずっと目標があった。二年生の時、花園の一回戦の後、夜ホテルでハイライトを見ていたとき、ある先輩が私に言った。「おめぇが主務頑張って、あいっらを花園に連れていってやってくれ。」と。その先輩はいいかげんな人だから、この言葉が本気だったかどうか分からないけれど、私には大きな一言だった。皆を花園に導くようなマネージャーになる!それが私の目標というか夢だった。結局、そんなすごいマネージャーになることは叶わず、夢は後輩にたくします。
三年間ラグビー部を続けてきて、今、特に感謝しているのがキャプテンの中澤高央だ。キャプテンが彼だったから、マネージャーを続けてこられたと言っても過言ではない。マネージャーである私を特別扱いしないで仲間に入れてくれた。高央はキャプテンという大投をこなしながら、周りによく気遣いをしていた。誰かが入院すると、真先に皆を誘っておみまいに行っていたし、後輩にもよく指導していた。そして一年生の頃からずっと努力をしていた。そんなキャプテンだからチームにいると安心できるし、決勝戦でも、プレー中、高央の大きな声が聞こえてきて、不安がふきとんだ。たくさん悩んだり、苦しかったりしたと思うけど、高央がキャプテンで本当に良かった。
ラグビー部のマネージャーをしていたことで、たくさん応援してもらったし、たくさんのすばらしい言葉をいただいた。とくにあの、学校の皆からの大きな大きな寄せ書きの応断幕は、涙が出るはどうれしかった。たくさんのステキな人に出会えた。宮高ラグビー部のすばらしさを教えてくれた八木先生。いっまでもラガーマン現役の廣瀬先生。いろんな苦労があっただろうと思う濱崎先生。なにかとお世話になった勝宏先生。夏場、毎日大量の氷を運んでくれた中澤さん。人形を作ってくれた奥山さん。運転をしてくれた前川さん。遠征や合宿の時、差し入れとともにいっも見送りに来てくれた小野寺さん、三好さん、三浦さん。洗濯をしてくれた山内さん。千羽鶴をつくってくれたお母さん方。力仕事をしてくれたお父さん方。ラグビー部のマネージャーという仕事に理解を示し、何かあるといつも助けてくれた両親。やさしい後輩達。そして、最後まであきらめなかった誇り高い仲間達。みんな最高です。
厳しく、そしてやさしく包んでくれた二十人の仲間に私は救われました。みんなのことで泣き、みんなのことで笑った三年間でした。ありがとう。
みんなで花園に行きたかった。
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